『現代化学』2018.11「セキララかがく」の原案
学生と毎朝論文を読んでいる。朝輪(あさりん)と名付けている。セキララかがくの古くからの読者の方はとっくにご存知だと思うが、あらためて朝輪について紹介してみたい。教育効果は抜群に高く、研究室に配属された学生は1年後には自分で原著論文を書けるようになる。そうなりたい学生は多いだろうし、そういう学生を育てたいと願ってやまない教員も多いと思うが、実は必要なコストはほぼゼロ、毎朝30分の時間と、ちょっとかさむプリンターのトナー代くらい。いいことずくめの仕組みなのだ。
やり方は簡単で、朝9時に院生室にある円卓のまわりに集まり、30分で論文を読むというものだ。お盆と正月の2週間を除いて、講義や出張のない人は毎朝集まる。歯磨きをして顔を洗うのと同じルーチンである。
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論文1本を読み切る場合、要旨を2人で半分ずつ読み、和訳もしながら概略をつかんだあと、イントロはパラグラフひとつを10秒ほどで誰かが速読し、結果は1人が図1つの内容を読み取り必要ならば文章に戻るなど、参加者全員の目と頭と口で手分けして読んでいく。一方、執筆中の論文を朝輪の題材に使うときには、査読を兼ねて丁寧に音読をしながら、英文の正確さや論理の構成、引用文献の妥当性など、皆で意見を出し合う。こういう批判的なプロセスは、私にとっても勉強になる。総説を読むときはまた違い、パラグラフひとつを英語でざっと音読したあと、別の人が内容を要約し、別の人がコメントをして、どんどん進むスタイルがいい。私が日本語で書いた解説を投稿する前に読んで意見をもらったり、半世紀も前の偉大な論文を味わって読んだり、いろいろと工夫すると楽しめる。
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4月はまず、研究室から出た新しい論文から遡って20本くらい読んでみるといいだろう。配属されたばかりの4年生にとって、最近の成果や、研究室にある測定装置、ゼミで飛び交う専門用語など、今まさに必要なことを説明してもらえるからだ。院生になれば内容はほぼ知っているので、論文の書き方に集中して読めるのが利点だ。
5月以降は原著論文を1本読み切る形が多い。そのとき月曜日から金曜日まで5本セットで同じ研究チームの論文を選ぶといい。専門用語や測定方法、論理構成などに共通点が多いため、5本目にもなればパラパラ見るだけでだいたい読めてしまうだろう。こういう感覚を得るのも面白い。自分たちの分野にぴったりの最新の総説は全員の知識の底上げになるし、液-液相分離のような新分野の論文を読むと、科学の分野の誕生がタイムリーに実感できる。
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4年生は予習をした方がいい。要旨を読んで図表くらいは見ておき、専門用語も少しは調べておく。最初はひとりで何時間かけてもわからないことばかりだが、朝輪が終わればすっかり理解できてしまう。これを毎日繰り返せば急速に知識も増え、学び方も身につくので、半年もすれば予習はほぼ不要になるだろう。復習も重要で、4年生は私と「感想戦」をする。重要なポイントを振り返り、理解しにくかった点や理解できた内容を言葉で表現してもらう。このとき、覚えておくといい専門用語や、孫引きして読むとよい論文、自分の実験との関連など、目の付け所のヒントを出す。この10分の復習が最上の学びになる。
これを毎朝やれば学生は一気に育つ。大学4年生になるまでの学びが研究室で一気に花開くようなものだ。去年は修士卒の3名とも2本以上の論文をファーストで書いたから、こうなれば教員は楽である。投稿論文のレフリーへの応答から後輩の研究テーマの立案まで、一人前の研究者と同じことをやってくれていた。修士論文も査読を受けた論文がベースなので、赤ペンを入れる余地がない。大学院とはそもそもこういう学生が育っていく場である。
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朝から学生と一緒に懸命に論文を読む時間は、教員にとっても貴重な時間で、ゼミとはまた違って純粋に科学にたずさわる幸せを感じられるものだ。ぜひ皆さんもお試しください。
『現代化学』2018.1「セキララかがく」の原案
Writing a Paper
ジョージ・ホワイトサイズ博士は、質の高い論文数の指標となるハーシュ指数で世界一とされる著名な科学者である。彼の書いた出版物のなかで最も有名なものは、何千回も引用されている優れた学術論文ではなく、『Whitesides' Group: Writing a Paper』かもしれない。30年ほど前に研究室のメンバーに向けて書かれた論文執筆マニュアルだ。たった3ページに科学と論文の本質が凝縮されている、知る人ぞ知る科学の奥義伝だ。
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最初の200ワードが強烈である。論文にならないようなものは研究ではない、興味深いが論文になっていなければ、それは存在しないものに等しいのだと、ただ漫然と実験だけしてしまうような私たちの態度に強い口調でお灸を据える。研究の目的は、仮説を検証して結論を出すことであって、実験そのものが目的ではないのだと強調する。Your objective is not to "collect data".
では何をするといいのか。ホワイトサイズは「アウトライン」を特別な用語として使って説明する。データが出るたびに論文の構造を構築しなおし、全体の中で常に位置づけなさいという。すなわち、今まさに進行中の研究をプランニングするために、論文の構造を使うわけだ。論文は研究が終わってから書くものだが、研究の最中にも活用せねばならない。ここが重要なポイントである。A paper is not just an archival device for storing a completed research program; it is also a structure for planning your research in progress.
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先日、理研のPIが、きれいなデータは出せるが論文を書けないポスドクが増えているとぼやいていた。そういう人たちを「Figure 1コレクター」と呼ぶのだと言っていたが、確かにそういう傾向はあるだろう。ポスドクを雇えるようなラボは裕福で、高価な測定装置もあるだろうし、その装置で得た貴重なデータを欲しがる共同研究者とのつながりも増えていくだろう。実験データを出すことが面白くなっていくのもわかるが、そればかりでは研究者になっていけない。
Figure 1コレクターなどと呼ばれる不名誉から脱し、自立した研究者になるためには、ホワイトサイズの考えを理解し実践することが不可欠である。「2.3. The Outline」に整理されているように、論文アウトラインの構造を理解し、そして論文アウトラインを研究のための思考の「型」として使うこと。それができるようになる方法を身につけることである。You should write and rewrite these plans / outlines throughout the course of the research.
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正しい手順で得られた実験データは常に正しい。それ以外が変わるのである。結論も変わりうるし、研究の背景や仮説も変わっていい。むしろ、目的ありき、結論ありきが科学の歪みを生む。編集する側は実験データではなく、データの手前に置かれるイントロダクションと、後ろに置かれるコンクルージョンなのだ。そのために、研究が終われば当初の予定とは全く違ったものになることもあるが、科学とはそういうものだと、世界で最も優れた科学者がいうのだから、いろいろなことを考え直してみたくなる。Much of good science is opportunistic and revisionist.
世界一の研究室を主宰してきたホワイトサイズの教育指針は、きわめて正論であり真っ当である。論文はデータを取り終えてから意識するものではなく、研究しながら常に科学のプランニングに活かす。論文の型は科学の思考の型だからである。ここにフィットしないものは、科学ではない。この考え方を凝縮すると、やはり最初の文章に戻るように思う。実験が楽しくて科学の道に入ることが多いが、そこを抜けてこの文章の意味が腑に落ちてからが本当のスタートである。"Interesting and unpublished" is equivalent to "non-existent".
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なお、この貴重な奥義伝は、一子相伝ではなくハーバード大学の公式サイトにアップされて世界中に公開されているので、誰でも読むことができます。まだ読んだことのない方はぜひご一読を。
『現代化学』2016.10「セキララかがく」の原案
アルギニン
アルギニンはアミノ酸の一種で、ありふれた物質である。エネルギードリンクによく入っているし、そもそも自分の身体の何百グラムかはアルギニンだ。このアルギニン、水に溶かすと意外な振る舞いをすることが知られている。タンパク質の凝集をふせいだり、核酸塩基や薬剤を溶かしたり、ウイルスを不活化したり、抗体薬の粘度を下げたり、担体に結合したタンパク質を解離させたり。牛乳に入れると若干透明にもなる。何とも不思議なアミノ酸である。
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メカニズムはおそらく単純である。側鎖のグアニジニウム基がプラス電荷を帯びた平面状の構造を持つので、芳香族化合物との間にカチオンπ相互作用をすることができる。この相互作用は比較的強く、タンパク質や化合物などを水よりよく溶かすような、ある種の特別の溶媒系になるのだろう。
ちなみにアルギニンの構造はどの部分も重要で、あの構造でなければならないのが面白い。同じ塩基性アミノ酸でもリシンでは効果がないし、アルギニン側鎖のグアニジンだけでもダメなのだ。グアニジニウム側鎖を修飾しても効果がなくなるし、主鎖のアミノ基のプラス荷電も不可欠である。アルギニンを改良し、より高性能な新アルギニンの合成を試みた報告例もあるが、最終的には安価で安全で安定なアルギニンに戻ってしまう。絶妙の構造を持っているのだ。
ではなぜ天然アミノ酸の一種にこのような働きがあるのだろうか? 生物が細胞内で利用しているかというと、そうではないようだ。アルギニンがこのような効果を示すには0.2 M以上の濃い溶液が必要になるからだ。アルギニンがタンパク質の凝集をふせぐという事実は、人類が文明を築き、細胞のなかにタンパク質があることを発見し、やがてタンパク質を創薬やバイオテクノロジーへの利用を試みた20世紀末までわからなかったのである。細胞がアルギニンを溶媒として利用している訳ではない。
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アルギニンの最初の応用例は、ドイツの研究者、ライナー・ルドルフ博士らのグループによる四半世紀前の研究にさかのぼる。論文としての初報告は、Nature Biotechnology誌の前身にあたるBio/Technology誌への論文で、抗体の働きをもったFabフラグメントを組換え体として調整する技術的な内容だった。このプロトコルのなかに、アルギニンを0.4 M加えてリフォールディングさせると収率が2倍ほど改善するという図がある。これがおそらくアルギニンの原郷だろう。
ドイツ統一直前の1990年9月に投稿された論文で、連絡先の住所がFRGになっているのが味わい深い。遺伝子組換え技術が本格化したが、人工タンパク質を自在に多量に調製するのは想像以上に難しいことがわかりはじめた頃だ。遺伝子クローニングと大腸菌での大量発現まではルーチンになったが、菌体内に蓄積した封入体から活性のある立体構造へとフォールディングさせる過程が、予想より難しかったのだ。
ちょうどその頃、分子シャペロンやジスルフィド異性化酵素などフォールディングを助けるタンパク質群の発見が相次いでいた。つまり、緩衝液に希釈するだけで自発的にフォールディングするタンパク質は一部にすぎず、多くのタンパク質は細胞内にある高度なフォールディング補助システムを必要としたのだ。アルギニンはそれらの代わりとしてうまく機能したのである。ちなみにアルギニンの「化学シャペロン」としての発見者の一人、ヨハネス・ブフナー博士は、その後、アルギニンを極めるのではなく、本来の分子シャペロンの研究を展開し、顕著な業績をあげることになる。
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アルギニンは、それから多様な活躍を見せるようになっていく。今でもまだ、「ここにもアルギニンですか」という出会いがあって面白い。今年の春、アイルランド国立大の化学者ピーター・クローリー博士が茨城県つくば市にまでわざわざ会いに来てくれて、このアミノ酸について半日ほど話し込んだ。酵素とカリックスアレーンの超構造物の制御にアルギニンを使う技を開発していて、この精密な応用法に驚いたのだが、かたや彼は、この由緒あるルドルフ博士のリフォールディング論文を知らなかったのである。お互いに、へえー、という感じであった。
『現代化学』2016.8「セキララかがく」の原案
選択的相互作用
トレハロースやスクロースなどは、タンパク質構造の安定化剤として広く使われている。これらはタンパク質に結合しにくい性質があるが、なぜ「結合しにくい」と「安定化剤」として働けるのだろう? まるでトンチのようだが、次のように説明ができる。すなわち、糖は水分子と比べてタンパク質表面に結合しにくいため、溶液中とタンパク質表面とのあいだに濃度差ができ、それがいわばタンパク質構造をコンパクトにしようとする力になって現れ、高次構造が安定化するのである。
タンパク質とリガンドが「結合」すると考えるとき、ふつうはタンパク質が主役でリガンドが脇役、そして水は考えない。しかし、タンパク質分子とリガンド分子と水分子は、実際には全て分子なので対等ではないのだろうか? 事実、濃度や化学ポテンシャルやギブス自由エネルギーなどのパラメータに添字の1(水)と2(タンパク質)と3(リガンド)を等しくぶら下げれば熱力学的な土俵に乗せることができ、その結果、さまざまな関係式が導き出せる。このように、成分の間にはたらく親和性の違いから考えた見かけの相互作用を選択的相互作用(preferential interaction)という。
選択的相互作用の見方があれば、先述のタンパク質に結合しない分子の濃度を上げるほど構造が安定化する現象や、タンパク質に結合する分子でも高濃度にすれば結合しにくくなるといった、直感的にわかりにく現象も合理的に説明することが可能だ。この体系から説明できることは、すなわち、分子間の結合は結合ではなく交換であり、相互作用は交換の結果で、結合は排除と表裏の関係であり、タンパク質への水分子の結合は、水和とも選択的水和とも違うのである。
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この美しい体系を構築したのは、米国ブランダイス大学のサージ・ティマシェフ教授である。ティマシェフ教授は1950年代、溶液の統計力学の分野で著しい貢献をしたカークウッド教授のもとで、3成分系の熱力学から研究をスタートさせた。その後、1966年にブランダイス大学へ異動し、一貫してタンパク質溶液の研究を深めた。同時代に活躍した生物物理学者ジョン・シェルマン教授が、ティマシェフ教授の研究について、解説の題名に「The man with a genius for solutions in biology」と書いたほど非凡な才能のある研究者だった。論文を読んでいると、緻密な論理展開に「科学の美」が感じられる独特の世界がある。ティマシェフ教授は2007年、荒川力先生と最後の論文を書いてから、一線を退いてしまったようだ。
その荒川先生は、1980年ごろにポスドクとしてティマシェフ研に在籍し、選択的相互作用の概念の確立に決定的な役割を担った研究者である。私が最も尊敬している研究者のひとりでもある。たまたまご縁があって10年ほど前から共同研究を続けているが、かつて出会ったころ、荒川先生が、タンパク質溶液の研究なんか当時は全くの基礎でね、グラントが取れんからティマシェフも抗がん剤の研究なんかしていてね、と冗談めかしておっしゃっていたのを憶えている。面白いものである。一大分野を構築した研究者が、最初期にはグラントのために研究をしていたのだ。それが今では逆に、こうして築き上げられた体系が、バイオ医薬品をはじめとする現代タンパク質研究のインフラとして機能しているのである。実際に荒川先生は、アカデミアではなく産業界にいる。約20年前に米国サンディエゴに会社を創立し、産業に直接役立つタンパク質溶液の研究を進めながら、一流大学の教授をはるかにしのぐ研究業績を残しているから、こういう研究者の生き方もありえるのだなと不思議に思う。
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タンパク質溶液の研究は1世紀前、「全くの基礎」としてスタートした。そして、溶解度の研究やタンパク質フォールディングの概念、相転移や相分離といったいわば地味な基礎研究として研究が深まっていった。グラントを維持するのも難しい時代もあったのだろう。現在では、これらの概念を総合的に理解しているごく少数の研究者は、水に添加剤を加えたある種の「溶媒系」をデザインすることで、水溶液中でのタンパク質をある程度は合理的に制御できるまでになっている。
『現代化学』2014.6「セキララかがく」の原案
書くことの意味
ぽつぽつと論文を綴っていると、とても満たされた気持ちになる。自分が今、科学の言葉を介して世界とつながっているのだという、存在の根源的な肯定感が得られるからだろう。もちろん実験も楽しい。きれいなデータが取れたり思わぬ発見があるのも楽しいことだし、一流誌に採択されたり、講演で拍手をもらったり、予算がついたりするのもある種の醍醐味である。しかし、科学にたずさわる人にとって特別な時間は、論文の言葉を綴るその時にあると思っている。
深夜、静かな大学の居室でひとり書きものをしていると、こんなシーンをふと思い出す。歴史小説家の宮城谷昌光に、『沈黙の王』という短篇がある。のちに殷王朝・第22代帝になる子昭は、生まれつき言葉が出なかったので放逐されてしまう。やがて、艱難辛苦の末に言葉を得て帰ってくるという貴種流離譚だ。はたして子昭が得たものは、発話して消えていったこれまでの「言葉」ではなく、書き残すことができる「文字」だった。森羅万象から抽き出した形象は、万世の後にも滅びぬ天意になった。その子昭が、言葉を探す旅の途中で鳥の足跡を見る。雪原に舞い降りた赤い足の鳥。その鳥の足跡の美しい線が、雪の上に続いていく。この鳥の足跡の場面は、古代中国で「文字」を発明したとされる蒼頡の伝説として、淮南子にも残されている。文字を紡ぐことのアーキタイプにふさわしいシーンである。
書くということは、自分の頭の中に完成している文章をプリントアウトするようなものではない、自分でも気づかなかったものに、書くことではじめて出会うことだとはよく言われる話である。その意味においても、今こうして論文を書いている行為は、文字が天意であった時代の「書くこと」と何ら違いがない。この小説は最後、「高宋武丁のことばは、いまだに甲骨文でみることができる。」と終わるが、どのような論文でも、ここに通じていなければならない、文字の発祥の意味に直結していなければならない。
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大学院に進む学生は、小さな論文で十分なので自分で書いてみると良いと思っている。物心ついてからずっと続けてきた「学び」が、ここに結実するからだ。実験が上手いだけでは論文は書けない。分厚い専門書を読みこなして理論や専門用語を理解する力がいるし、英語で書かれた多量の原著論文を読んで先達が何を明らかにしたのか見定める力もいる。何より粘り強く文字にしていく力も必要だ。考えを文字にして、文字にしながら考える、書こうとするから既に書かれたものを本当の意味で読めるようになるし、読めると今度は書けるようになる、こういった「読み・書き」の往還、言い換えると過去と現在との往還こそが、私たち人類が獲得した「思考する」という方法なのである。ウィトゲンシュタインが考え尽くして至った結論である。
初論文を書き終えたら、身の丈ぴたりの専門誌に、コレスポンディングオーサーの許可を得て自分の手で投稿してみるといい。その時、エディターへのカバーレターも書いてみて、レフリーとのやりとりも自分でやってみる。そうすれば、科学がどのように成り立っているのかも分かってくるし、科学に貢献できたという喜びも得られる。
理系の大学院を出たあと研究から離れてしまう学生も多いが、そういう人にこそ、自分で書いて欲しいと思っている。「ピアレビューに耐える原著論文を自分で書ける」という科学リテラシーは、掛け値なく本物である。理系の大学院教育は、ここで完成する。
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正しい手順を踏んで正しく書かれた論文は、どんなに小さな成果であろうが等しく価値がある。そう思って実験をし、先達から学び、そう思って論文を書くべきである。科学論文の執筆は、赤い足の鳥が足跡を一歩一歩残すシーンのように、混沌の世界から秩序を引き出し記すことに等しい。殷朝の帝がはじめて甲骨文字を刻んだ時から連綿と続いている、世界にひそむ真実との交感なのである。
『現代化学』2014.11「セキララかがく」の原案
白川静
漢字は象形文字である。「白」は白骨化した頭蓋骨の形、「見」は人がひざまづいて何かをじっと見つめる形、「身」は妊娠して腹の大きな人を横から見た形である。あらためてこの事実に目を向けるようになったのは、白川静先生の一連の著作を読んだあとのことである。
はじめに衝撃を受けた字に「道」がある。この字形は、異族の生首をたずさえ、呪禁を加えながら行軍していた姿をあらわしたものである。このような説明を読んでしまうと、もう「道」はこれまでの「道」ではない。生首の形の「首」が、しんにょうの形の道を行くのだ。
「家」も印象深い文字だった。家の形をあらわすうかんむりの下に、犠牲として殺された犬が埋められた形である。ここにも死があった。「教」も怖い形で、左側の字形にある校舎にまなぶ子弟たちを、長老たちが鞭打つ光景なのである。漢字とはかくも生々しくできている。
白川漢字学は、漢字を形から統一的に解釈するのが特徴だ。例えば、「口」は「サイ」と呼び、顔にある口ではなく、神に捧げる祝詞をいれる器であると見なした。よって「歌」は、口がたくさん並び歌っているような楽しげな様子などではない。祝詞の器を枝で打つ人が神に祈っている姿になる。この「口」に一線を加えた「曰」は、器に祝詞が納められた形であり、神がおとづれかすかな音をたてたとき、それが「音」になる。
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漢字は3千数百年前の殷王朝のある時に一挙に発生したといわれる。それと同時に東アジアの文明が芽吹いた。古代文明にはさまざまな象形文字があったが、今もなお残されているのは漢字だけである。私たちがふだん使っている文章は、文字の組み合わせである意味を表現したものだが、その文字の一字一画に神話の面影が色濃く残されているのだ。
詩人の伊藤比呂美さんが、「筆先がしなって字が表れるたびに、ここで人が死んだ、ここでも殺された、その屍体をこうした、ぜんぶ覚えているぞと字が証言する」と漢字の世界を表現したように、一画の起筆や転折に意を払って手書きしてみると、その字画のいちいちに、神に祈り、呪い、殺し、生贄にした原初の日常の気配が感じられる。科学技術文明にあって、思考のインフラである文字の奥には神々がいたのだ。何とも言いがたい不思議なものを感じる。
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白川先生は従来の学説によらない孤高の学者であった。後漢の許慎がまとめた最古の字典『説文解字』を聖典のようには扱わず、20世紀に入って発見された殷王の陵墓から出土した甲骨文や金文にあくまでも立ち返り、自らの手で本来の字形を整理していった。実に三万片もの卜片を全て手写したらしい。こうして漢字とともに、中国と日本の文化の発祥を大胆に再現する。司馬遷の描いた孔子像にすら注文をつけたのは有名な話だ。
立命館大学で研究に没頭されていた白川先生が、研究成果を一般書として岩波新書から世に送り出したのが還暦を迎えた60歳のことだった。この不朽の名著『漢字』のあと、『孔子伝』『中国の神話』『初期万葉論』などの一般書を次々に著していった。このような愛好家に向けた著作がなければ、当時の学説に外れた独立独歩の論文など、専門家にすらも読まれず再び埋もれてしまっていたかもしれない。
「私に残された時間は、もうそれほど豊かではない」と字書の編纂をはじめたのが73歳のころであった。字源や字形の研究成果を系統化した『字統』を皮切りに、日本文化の源流にある漢字の国字化の過程を整理した『字訓』を出版し、最後に用義法を中心に辞書的にまとめた『字通』に至ったのが86歳だった。この成果はニーチェの業績にも比すると梅原猛さんが絶賛していたが、それ以上なのだろう。なにせただ一人で人類の思考の発生の現場を再現し、首尾一貫した文字の理論を組み立て、字書までを編纂したのである。そして、96歳で亡くなる直前まで講演をして著作を執筆していたという。学者としてそびえ立つ巨大な背中である。
『現代化学』2014.5「セキララかがく」の原案
サラブレッド
ときどき競馬場に足を運びたくなる。ギャンブル好きだった父の英才教育のおかげというよりも、むしろ理学部生物学科を志した原点がここにあるように思う。大レースがない土曜日のよく晴れた日の午後がいい。パドックの最前列で、手が届きそうな所にいるサラブレッドを見ていると、生きているものの偉大さが感じられて初心に戻ることができる。
艶のいい毛並みの下に動くあの巨大な肉感、レース前は皮下脂肪がギリギリまで削がれているので、歩くたびにトモや胸前や肩の筋肉の形がくっきりと浮かび上がる。そして、圧力が感じられるほどの鼻息、リズムのいい乾いた蹄の音。走り終わったあと、浮かび上がる血管も生々しい。惚れ惚れする生命感である。生が研ぎ澄まされている。
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すべてのサラブレッドは三代始祖といわれる3頭の種牡馬の血を引く。300年におよぶ壮大な進化の実験である。昨年末に有馬記念を圧勝したオルフェーヴルの父系は、26代先にその一頭であるダーレーアラビアンにまで遡ることができる。現役のサラブレッドの世代はおおむねこのあたりで、10年前の三冠馬のディープインパクトで25代、30年前の三冠馬シンボリルドルフは24代で始祖のバイアリータークにまで至る。
競走馬の進化は脅威的で、筋肉を支える心肺機能にそれがあらわれている。心拍数は平常時には毎分30程度だが、走り出して10秒で最高値の毎分230にまで上がる。これ以上速くなれば、血液の粘度が上がるので酸素の運搬効率はむしろ下がるという研究報告にあるほど極限に達したものだ。体重に占める血液量の割合は他のほ乳類よりもはるかに多く、大脳を持つ我々ヒトをも上回る。巨大な肺を納めるために横隔膜が後退し、草食動物の体とは思えぬほど消化器官が小さくなっている。
速い馬だけが後世に子を残すが、ただ「速い」といった大雑把なものではない。競馬場や開催日程といった人間の都合が進化の強烈なバイアスになっている。G1競争のある1200mから3200mのいずれかに適応でき、しかも、3歳クラシックに出場できるよう2歳の冬までにはかなり成長する必要がある。逆に、5歳や6歳まで成長を続ける晩成の血統は、JRAの調教師が持つことができる厩舎の馬房の制限もある上に、月に60万円ともいわれる厩舎預託費もかさむので敬遠される、ということまでが関わってくる。距離の専門化も相当に進んでいる。例えば、1200mのチャンピオンが1600mを勝つことは稀で、2000mのレースを勝つことはない。さらにいうと、欧州の重い芝で走ったオペラハウスの子は、似たような傾向の中山競馬場が得意だという程にまで特化する。ちなみに、致死性の運動器損傷は、中央競馬に千回の出走あたり1.7頭というから、動物が駆けているという感じではない。F1カーを彷彿させる極限での疾走である。
サラブレッドの全ゲノムは2009年のScience誌に報告されており、SNPsの研究も進んでいるが、こうした競走馬がゲノムやエピゲノムの科学でいったいどこまで解き明かせるのか個人的にもとても興味深い。3x4のインブリードによる18.75%が奇跡の血量だとか、父サンデーサイレンスと母父ロベルトの組み合わせは走るといった理由はあるのだろうか。オルフェーヴルやゴールドシップといった強烈な個性を持った最強馬は、父ステイゴールドに母父メジロマックイーンという「黄金ニックス」を持っているが、はたして科学が説明できるものなのだろうか。
50年の歴史を持つ専門誌『馬の科学』をさかのぼって読んでみても、コエンザイムQ10が運動後のクレアチン量を下げるとか、3Dエコー法でウマ胎子を観察するといった健康や疾患の研究は盛んに行われているが、ゲノム科学で進化を解き明かす研究はまだ盛んとはいえない。シーケンサーがポケットサイズになった現代科学の入り込む余地は大いにある。
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競馬場に行くとつい馬券を買いたくなるが、純粋に馬を見る方がはるかに豊かな時間をすごせる。500キロもある巨体が時速60キロ以上で群れをなして走っていく姿を見ると、感嘆のため息が出る。その走る姿は、人類の文明史と生命の進化史が形を取ったものだ。農耕民族の子孫である私でさえ感動するのだから、馬と歴史の全てを共にしてきた民族の子孫はどれほどのものだろうと思う。ドバイ首長国のモハメド殿下が巨費を投じてドバイ・ワールドカップを開催したのが1996年。当時は自国民を無料で招待し、馬券の発売もなかったという。奇しくも欧州で進化してきた世界最高の馬たちがアラブに集められ、彼らの眼前を駆け抜けた。その気持ちに思いを馳せる。
『現代化学』2014.12「セキララかがく」の原案
宇宙の果て
単行本の表紙には、車椅子に座り首を傾げる男の写真。大きめの「ホーキング Inc.」の文字。平積みされた本の装丁と目があった瞬間、生の淵源を覗き込めるという直感があった。21歳で全身の筋肉が縮むALSを発症して、肺炎の合併症のために声も失い、自由に動かせるのはジョイスティックを握る手のわずかな部分と目だけだが、宇宙の果てを誰よりも理解している。そんな最も有名な物理学者は、いったい「何を」しているのだろう? 会社のような組織体として? 脳だけで生きるSFの生命のような存在として?
ホーキング博士は72歳になるが、今もなおオックスフォード大に籍を置く現役の研究者だ。理論物理学に偉大な功績を残したほか、日常では2度の結婚と離婚を経験し、本人曰く「目鼻立ちよく、実に優秀な三人の子どもに恵まれ」、一千万部を越えるベストセラー作家にもなった。講演にも積極的で、合成音声でアメリカ訛りを謝罪するオープニング・ジョークで爆笑を取るのも恒例だ。最近の自伝『ホーキング、自らを語る』で「豊かに恵まれた人生だった」というが、まさにその通りの半生だ。
博士の研究の進め方は、意外にも私たちと大差ない。まず博士が、院生たちに研究のアイデアを話す。それをもとに院生が方程式を解いて論理の詳細を詰め、途中で博士がアドバイスを与えて、最後に院生が論文に仕立てるという算段だ。つまり、深い洞察を与えられる経験豊かな教授が、体力のある院生たちと組んで仕事をしていることに他ならない。
ただし、コミュニケーションを取るのは難しい。博士との会話は、彼の反応を予想して彼の文を与える必要がある。「この方程式で良いですか」「この理論の方がいいですか」「ここを考え直せばいいですか」。まったく見当違いであった場合、車椅子に備え付けられたモニタを2人で見つめながら、分速3ワードの会話の時間に突入だ。埒が明かないとき、博士が苛立っていくのが表情だけで分かるようになると言う。
ホーキング博士の生き方を知るほどに、かえって私たちの生き様が露わになるような気がしてならない。実際のところ、博士の研究スタイルは、イエスとノーだけで多様な指示を下す大企業の超多忙な管理職と何が違うのだろう。会話のキャッチボールが成立しないという意味では、皮肉を言えば、もっとひどい教授も多いのでは? 「飯・風呂・寝る」の亭主と、どう違うのか?
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私たちは、多かれ少なかれ、テクノロジーと人々の中にいて、さまざなまモノや情報と常に結ばれ、依存し、存在が拡張され分散しているものである。では、どこまでが「私」だと言えるのだろうか? どれが「私」なのか?
こうした存在にまつわる目眩は、誰もが日ごろ経験するものである。先日、出張でつくばエクスプレスに乗ったとき、司馬遼太郎の小説を夢中になって読んでいた。新撰組の池田屋の討ち入りのタイミングで、「終点、秋葉原~」のアナウンスが聞こえてきて、ハッと我に返った。いったいここはどこなのか。身体は確かにつくば駅から秋葉原駅まで58.3kmを移動したようだが、この45分間の「私」の旅とは、空間的移動を指すのか、もしくは沖田総司とともに尊王攘夷派を切り倒していたことなのか?
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最初の一般向けの著作『ホーキング、宇宙を語る』は、40カ国語に翻訳されて博士を一躍有名にした。この本の序文は、カール・セーガンによる「世界についてほとんど何一つ理解しないまま、私たちは日常生活をいとなんでいる」ではじまるが、まさにこのことだろう。日常生活を送る私は、身体的な生物としての「私」である。同時に、数式で宇宙の果てまで飛んで行く私、小説に夢中になる私、スペクトルでタンパク質構造を見る私、過去を思い出す私、いろんな私が時を超えて重なりあい、世界中に広がっている。人生は旅だと言われるが、自分の体がどこかに行くという意味ではない。この宇宙が、宇宙創成からの時空が、私の中を、旅するのである。
『ニューサポート高校理科』東京書籍2015年秋号の原案
学ぶ目的
すっきりしない梅雨空の日の午後,ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を読んでみた。航海に出て難破し,無人島に流れ着いたロビンソンが,28年2ヶ月19日のあいだどのように過ごしたのかを克明に記した物語だ。18世紀初頭に書かれたこの物語から「小説」という新ジャンルが誕生したといわれるように,読んでみると実におもしろい。
イギリスから持ち込んだらしき大麦が芽吹き,畑を耕し,島の反対側に「別荘」を建て,怖ろしい人食い人種が現れて,そして,捕虜のフライデーを救い出して仲間にする。ロビンソンの決してめげることのない行動力に感心し,残りのページ数を指先に感じながら,いつまでもこの物語が続いて欲しい気持ちと,早くハッピーエンドが読みたい気持ちの板挟みの状態で読んでいった。
ロビンソンは,生き延びることだけを目的にしていたのではなかった。無人島に難破したという極限の事実を受け止め,宗教人としての原罪の救済を求めながら,真面目に労働をして,正しく生きようと努力しつづける。それがあまりにも真っ当で,だからこそかえって人間の存在の高貴さと滑稽さとが同時に際立って感じられるのだろう。
カール・マルクスがデフォーに夢中になったという説があるが,きっと本当なのだろうと思う。この頃のイギリスから,株式も保険も紙幣も銀行もジャーナリズムも生まれて,やがて近代資本主義が発祥したが,その時代の背景とともに,人間のあるべき精神が描かれているからだ。
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ちょっといいレーザーポインタを新調して,たまたま子どもの宝物のようにポケットに入れて持ち歩いていたのだが,ふと取り出して輝度の高い赤レーザーを光らせながら,ロビンソンになりかわった気持ちで考えていた。外に光を向けると,夜の霧雨にレーザーが幻想的に映えて,何物かが召還されそうな感じがする。
はたして自分が無人島に流れ着いたとして,このレーザーポインタを作るれるのだろうか。少し想像しただけで,全くもってお手上げであることがわかる。電池も集積回路も導線もなく,設計図も接着剤もペンチもない無人島で,最初からレーザーポインターを作ることなど不可能だ。無人島にやがて産業革命がおこって内燃機関が誕生し,それで石油の発掘がはじまりプラスチック製品が作られる必要があるし,かたやボルタの電堆や半導体素子なども発明されて,電子機器の仕組みが発達しないといけない。文明の進歩と同じように何百年もかかる。
レーザーポインタを理解するためには,顕微鏡で拡大して観察したり,重さや長さを厳密に測ってもわからない。集積回路を分解したところで何もわからないだろう。そうではなく,図書館に行き電磁気学や非線形光学や固体物理学の教科書をひもとく必要がある。このせいぜい50グラムほどの筐体の中には,プラスチックや金属やゴムが詰まっているのではない。それを実現させた人類と文明の知の結晶が,悠久の時の記憶が詰まっているのである。
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学校での学びとは,メソポタミアや黄河やエジプトやインダスに発祥した文明以降,数千年もかけて人類が経験したことを,早送りして追体験することに他ならない。小中高と学んでくれば現代に近い時代までを網羅できる。理科の場合,17世紀の力学や18世紀の電磁気学,19世紀の化学,20世紀末ごろまでの生物学が含まれてくるだろう。そして,大学の集中講義や大学院の専門科目になれば,「現在」にまで手が届く。
例えば数学なら,現在の高校生は,ベルヌーイやオイラーが解析学を思考ツールに仕立てた18世紀ごろまでを学ぶ。それから1世紀以上をかけて,フーリエの級数や,ディリクレの関数,デデキントの連続,ワイエルシュトラスの収束,カントールの無限などが出そろい,無限をようやく精密に扱えるようになる。ここで歴史の見方をひっくり返すと,このような名だたる数学者たちが,今の大学2年生が学ぶ解析学に追いつくまでに,20世紀の直前までかかるのである。
ライプニッツやローレンツやメンデレーエフが2014年のセンター試験の様子を見たら腰を抜かすだろう。ホモサピエンスを代表する数学者や物理学者や化学者にも全く歯が立たない超難問を,18歳の若者の多くが普通に解いてみせるのだ。そう考えると,大学入試や期末試験や小テストは,偉大な仕組みなのである。
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大学生にもなれば,コンビニなどでバイトしたお金で海外旅行をする,というような人も出てくるだろう。ノルウェーでオーロラを見たとか,上海で本場の蟹料理を食べたとか,マンハッタンのウォール街を歩いてみたとか,いろいろな経験をする。大事なことは,その直接の経験を可能にしてくれている背景に何があるのか,である。コンビニでバイトすること,座っていれば地球の裏側にでも連れていってくれること,オーロラやウォール街や蟹料理があること,それがいったい何なのか,ということである。
チンパンジーやイルカやタコなど,知能がよく発達している生きものも多い。彼らは誕生したあと,その知能を活用しながらさまざまな経験を積む。彼らは、親や仲間に教わることもあるだろうが,基本的には自分が持って生まれた能力と経験が全てで,おおむね個体の中に閉じ込められた存在として生涯を終える。伝えられるのは遺伝子だけだ。
かたや人間は,個体として誕生するが,言葉を使うことで,ただ現在だけではなく,過去を引き受け未来に引き継ぐことができる。この言葉が我々を特別な存在にしたのだ。進化学者リチャード・ドーキンスがいったように,われわれは遺伝子(ジーン)の乗り物であり,同時に意伝子(ミーム)の乗り物でもある。
私たちは,文化や科学や歴史や技術や倫理や伝統や言語や政治や物理や数学や芸術などを共有することで,多様で豊かな文明を築いてきた。その結果,一個体として生きているだけでは経験しえないことを経験でき,さらには宇宙の誕生の瞬間から原子核の中の様子にまで思いを馳せることが可能になったのである。
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学びには,ふたつの目的がある。まず,レーザーポインタのボタンを押せば光ることを学ぶ。きわめて実用的な学びである。もうひとつは,光る仕組みを学ぶことである。この背景は奥深い。
学校は「ボタンを押せば光る」といった実学だけを学ぶ場なのではない。そのくらいなら,いってみればタコでも勝手に学ぶし、最近のロボットはこのくらいはできる。だがそうではない。実際に学んでいくにつれて,一粒の砂に世界を見たウィリアム・ブレイクの詩のように,ありふれたモノのひとつに人類の歴史の面影が重なってくる。そうすれば,当たり前だと思っていた出来事に,それらを作り出してきた人たちに,世界のあらゆる文化や歴史に,自然のひとつひとつに,心から敬意を払えるようになっていく。そこに至ることこそが,学ぶ目的なのである。